ビルの作り方として最初に屋上を作り、最後に1階を作りました。
その名前はTi-da。
沖縄の言葉で太陽という意味です。
この名前の由来はとても大切なところです。
カポエイラ仲間のコミュニティがそもそもあった上で、今のスタジオもビルも作っていきました。
今は新宿付近がベースになりましたが、以前は代々木でした。
代々木でカポエイラをはじめた仲間たちがAngolaTokyo というカポエイラ団体の創成期でした。
その仲間の1人の女性が癌を患いました。
2013-4年ごろから一度闘病して、その後また再発。
2016年の冬からは予断を許さぬ状況になってしまいました。
2016年4月中旬ビルの屋上を囲む、囲い板に色塗りをして貼り付けをする作業をしていた薄曇りの日、1本の電話がかかってきました。
「もう彼女は危ない」
耳を疑って空気が止まったように感じた。
「いま会わないと、もう生きて会えることはない」
それはもう本当に悲しかった。
「みなで明日行く。ある程度まとまっていったほうが相手の家族の負担が少ない」
翌日、カポエイラ仲間も、会社仲間も飲み仲間も一緒に岡山のホスピスへ向かった。
あの日の夜の光景と、彼女の細い腕と苦しそうにする姿はフラッシュバックして戻ってくる。
何故、あんなに良い子がこんなことになるのか。
泣いても何も変わらないし胸がずっと締め付けられていて苦しかった。
この夜の山は越えたが、その1週間後彼女は帰らぬ人となった。
次のストーリーで、彼女との別れとその後についてお話します。